タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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続々々々々・被災地を実際に巡っての雑感

 今年も無事書き終わりました。



 例年通り、最後に思ったことをまとめていきたいと思います。

復興一区切り

 富岡・浪江間を除き常磐線が復旧。道路も特に不自由なく、復興は一段落したのかなと思います。

 もちろん未だ仮設住宅に住まう人がおり、福島原発その他の問題などで故郷に帰れない人もいることも事実ですが、全体的な印象としては未来をどう描いていくかというところに来ています。

 その中で、地域としての基盤、産業などをどう位置づけていくか。農業か、漁業か、工業か。さもなくば観光を中心にしたサービス業か。そういう選択が求められてきていますし、選択するという過程で、ある意味で諦めも必要となっています。

景観をとるか、安全をとるか

 例えば、防災のために防波堤をつくる。その場所の安全性は高まります。

その一方で、高い壁に遮られて海は見えなくなる。景観は悪くなる。果たしてその状態で観光業は成り立つのか。なかなか悩ましい問題です。

アジアから東北を訪れた人の再訪希望率は56.8%にとどまり、全国の地域別で最も低かった。

<インバウンド>「アクセス悪い」「自国カード使えない」アジア人再訪希望率、東北が最下位 | 河北新報オンラインニュース

 ただでさえ東北地方は人気がありません。

東北を訪れて不満に感じたこと(複数回答)は「史跡や歴史的建造物の見物(説明の充実度を含む)」9.5%、「バス・タクシーの利便性」7.0%、「自国キャッシュカードの利用しやすさ」6.3%。これらの項目は他地域では5%前後にとどまり、東北への不満の大きさが浮き彫りになった。

<インバウンド>「アクセス悪い」「自国カード使えない」アジア人再訪希望率、東北が最下位 | 河北新報オンラインニュース

 アクセス面の不満が上位に来ていますが、この点、三陸などは新幹線が通る東北中央部に比べさらに不利です。

 こうした状況下で観光で集客するには、他地域にない魅力が必要ですが、そのひとつになりうる景観を手放したわけで、なかなか厳しいところです。

三陸では気軽に海鮮を食べれない

 景色がなければ食事の魅力を訴える方法もあるでしょう。幸い三陸は海の幸の宝庫です。ただ、実際行ってみると気軽に食べる場所がない。

 相馬などの福島県沿岸、仙台、松島、石巻の宮城県沿岸はまだいいのです。海沿いにお店も多く、道の駅も点在しています。ところが石巻を過ぎると食事の選択肢に困る。

 大体どこの海沿いの観光地に行っても、沿岸部を車で走っていれば、どこかに海鮮を売りにしたお店があり、そうしたお店の案内があったりします。お刺身であったり海鮮丼であったり、地物の特産品がある。ところが国道398号線や国道45号線を走っていても、そうしたお店はあまりないし、案内を見ることが少ない。

 特に不思議なのはかきで、あれだけ三陸のかきは有名なのに、毎年10月・11月というシーズンに行っていても、現地で食べるのはとても難しい。かき小屋などがあっても予約制であったり、昼のみの営業であったり。道の駅などで屋台で焼きがきとかあれば気軽に食べれるのに、そういった施設が本当にない。目の前の海で育てているのに、何故か食べれない。かき好きで、食いしんぼうの私が食べれない。石巻から宮古まで沿岸を車でひたすら走っても全然ないんです。気軽に寄って食べれるお店が。

 そういう状況なので、わざわざ現地に行っても買いにくいし、食べにくい。三陸のかきが食べたいなら、三陸行くより通販のほうが確実という現実があります。間違いない。

 で、戦略的に「あえて」通販中心に行くというのはアリだと思います。観光ではなく産業で行くと。漁業で行くと。来なくてもいい、送るから。そういう考え方であれば筋が通っています。しかしそこまで割り切れていないようにも思えるのです。ちょっと観光でも食べていきたいという浮気心がある。その浮気心があるうちは戦略が中途半端になってしまうような気がするのです。

 選択と集中。この言葉に集約されるというのが率直な印象です。

続々々々々・被災地の今を訪ねる(3)

続々々々々・被災地の今を訪ねる(2) - タケルンバ卿ブログ より続きです。

 朝食を早めに済ませ、7時過ぎにホテルを出ます。

 まず目指すのは女川。

 いつもうかがっている漁港では、工事がすっかり終わっていました。

2013年11月13日

 工事前と比べると、コンクリートの白さが印象的です。

2012年10月25日


 港のそこかしこに残っていた津波の爪痕も。


 今では残っていません。

 かさ上げ工事も追加で行われていたようです。

2012年10月25日

 この当時を知る人間にとっては隔世の感があります。

https://mainichi.jp/articles/20171126/k00/00m/040/121000c

 とはいえ、この記事を読んだ後になって考えると、やはりここも工事計画当時とは様相が異なっているのかなあという気もします。かさ上げしすぎて、かえって不便になった場所が出てきたという話は、実際の姿を知っている人間にとっては割りと現実的な話に思えます。

 沿岸部を北に走っていくと、至る所でこのような工事があります。




 車窓から見える風景は白いコンクリート。黒い土嚢。津波対策の工事の風景です。




 橋梁工事も多く見られる風景です。元々あった橋梁の流出・破損に伴う建て替え工事の他、三陸自動車道の建設に伴うものもあり、急ピッチで作られている様子がうかがえます。



 風光明媚な三陸の景色は、すっかり白亜のコンクリートの風景となりました。海が見えるのは上り下りのとき。平らな場所を走っているときは、海側は防波堤しか見えません。

 宮古の田老地区でも、これまでをしのぐ規模の防波堤が作られています。

 いつもの高台で田老地区を見下ろします。

2014年11月12日


2015年10月29日


2016年11月14日


2017年11月13日

 インフラの復興という意味では、原発関連のものを抜くと一区切りといったところでしょうか。2019年にはラグビーワールドカップがあり、釜石市はその会場のひとつとなります。三陸自動車道などがワールドカップに合わせるかのように急ピッチで作られている様子を見ると、復旧という今までのレベルに戻すところから、これからの発展をどう目指していくのかというところに論点が移り変わっているように感じます。

 しかしながら、コンクリートの景色を見るにつれ、今後の展望に疑問を感じることもまた事実です。観光を捨て地元の生活、安全な生活を優先するという選択をしたのなら、それもひとつの選択。しかし、それでも観光地として集客を目指すというならば、それはなかなかに難しいことで、かえって茨の道。他の観光地が競争力を強めていく中で、どれだけ抗えるか微妙ではないでしょうか。

 今年も約700kmの車旅を終えます。

(おわり)

続々々々々・被災地を実際に巡っての雑感

続々々々々・被災地を実際に巡っての雑感 - タケルンバ卿ブログ

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続々々々々・被災地の今を訪ねる(2)

続々々々々・被災地の今を訪ねる(1) - タケルンバ卿ブログ より続きです。

 11月13日午前7時。例年と同じようにJR大塚駅に集合し、一路北に向かいます。

 休憩を一度挟み、いつものように常磐富岡インターチェンジで高速を出て国道六号線へ。





 道行く風景にさしたる変化はありません。

避難指示区域の状況 - ふくしま復興ステーション - 福島県ホームページ

 大熊町や双葉町は依然として帰還困難区域に指定されており、人が住める状況にありません。

2014年11月11日


2015年10月28日

 震災の日から、そして福島第一原発で事故が起きた日から国道六号線の一部区間では変化がないのです。

 続いて浪江駅に向かいます。

JR常磐線の状況 - 福島県ホームページ

 常磐線は復旧工事が順調に進み、残る不通区間は富岡・浪江間のみとなりました。

 浪江から北はすべて復旧しています。

 しかし南は未だ不通区間があります。そのため、通常は向かいのホームに渡る際には跨線橋を使うはずですが、今は仮設の連絡橋があります。南側に走る電車がないからです。

 料金表の空白がすべてを物語っています。

 駅前には代行バス。2020年3月末の復旧を目指し工事が進められています。順調に進むことを祈るばかりです。

 続いて桃内駅へ。



 すっかり新しい駅へと生まれ変わりました。

2015年10月28日


2014年11月11日


2013年11月12日

 こうして見返すと、よくここまで復旧したなあという思いを強くします。

 磐城太田駅を経由し、原町火力発電所に向かいます。

 水門はすっかり修復されていました。

2012年10月24日


2013年11月12日


2014年11月11日


2015年10月28日

 変化なく打ち捨てられたようにそのままだった過去を思うと、いざ工事が動き出すとあっという間だなあという気がします。

 相馬で昼食をとり、宮城県に入り、旧山下駅へ。

 慰霊碑が建てられていました。

 奥に見える建物。


2012年10月24日

 駅に併設されていたトイレです。

 ホームの面影が残っています。慰霊碑と合わせ、震災遺構として残されるようです。

 宿をとっている石巻に向かいます。

 陸前稲井駅の裏手、真野川沿いを見に行きます。

2016年11月14日

 ここは昨年工事のため、入れなかった場所です。

 工事は一段落し、穏やかな時間が流れていました。このような一区切りついた場所が多く見受けられるようになりました。

 復旧はなった。さて、ここからどうするか。

 新たな課題が示されているような気もします。

 石巻のホテルに向かい、一日目を終えます。

(つづく)続々々々々・被災地の今を訪ねる(3) - タケルンバ卿ブログ

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