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タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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極端な立場に正解なし

議論

 こういう話が基礎にある人でないと、まともな議論は成立しないよということであったりもする。

往々にして、「現実的な妥協点」とか、「丁度いいところ」みたいなものは4から6くらいのところにあって、「実際に実行に移したら上手くいきました」みたいなのもその辺だったりすることが多いと思うんですよ。

http://mubou.seesaa.net/article/422946853.html

 誠にその通りとしか。

 例えばディベートにしても、一応はある論題に対して「賛成側(是側)」「反対側(非側)」という両極端の立場で争うものの、どちらかが一方的に正しいということはありえないし、どちらかが一方的に間違っていることもありえない。

 いずれの立場にしても強い点と弱い点があり、往々にしてそれは表裏一体で、賛成側にとって強い意見は反対側にとっての弱点であるし、その逆もまた然り。

 それにそもそもどちらかが一方的に強い場合は、論題の設定がディベート向きではなく、ディベートというゲームが成立しない。ディベートが成立するのは、賛成側・反対側いずれにも利があり、非があり、有利不利がないと言えることが条件。立場によって極端な有利不利があるものは、論題の設定に問題がある。

最悪→最良の賛成側

 賛成側の基本的な戦略は、現状が最悪の状態であるとして、あるプランの導入を持って最良の状態になるというもの。0点の状態からから100点の状態に改善することで、100点の加点を目指す。

最良→最悪の反対側

 一方、反対側は正反対の立場をとり、現状が最良であり、あるプランの導入の結果、最悪の状態になる。100点の状態が0点となり、100点の減点となるという立場。

 論題の中身、性格、あるいは論題を巡る様々な論拠などによって現状の最悪・最良の程度、そしてプラン導入後の良化・悪化の程度は異なるが、大まかな方向性としてはこういうこと。そしてこの加点幅・減点幅が大きい立場がゲームとしてのディベートを制すことになる。

 ゲームとして最大の加点・減点を目指すのがディベートであるため、できうる限り賛成側は現状を悪いものとしておきたいし、反対側は良いものとしておきたい。そして論題のプランが導入される結果において、賛成側はなるたけ良い変化が起きると言いたいし、反対側は悪い変化が起きると言いたい。そのため、極端な立場をとり、極端な物言いをするけども、それは「本当に」その極端な立場が正しいわけではなくて、極端な立場をとることで、最大の戦果を獲得するため。100点を目指さないと、50点をとれない。50点を目指すと、いいとこ25点止まりであったりする。

 こういう話は議論に通じる人であれば、わかった上での話になるのだけれど、往々にしてディベートを「相手を屈服させるための技術」と勘違いしていると、妙なことになる。「あえて」極端な立場をとることで、どのあたりに真ん中があるかを探り当てることができるのがディベートの良さであり、ディベート後の立場を離れた感想戦にこそ本質的な意義があったりするのだけれどね。