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タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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武雄市図書館選書の言い訳を考える

 リニューアルオープン時の選書などを巡り、武雄市図書館が盛り上がっております。

 まあさすがに佐賀県の図書館に、埼玉県のラーメン本やら、浦和レッズ本やら、古い年度の実用書が多く含まれていたら問題になりますわなあ。

 でもって、ついにCCCが「反省」に追い込まれた由。

 今回はあえてCCC側に立ち、こういう場合の言い訳について考えてみたいと思います。

今回の反省における基本姿勢

 CCCのお知らせによると、CCCは反省しているようです。

より精度の高い選書を行うべき点があった事を反省しております。

http://www.ccc.co.jp/news/2015/20150910_004827.html

 「より精度の高い選書を行うべき」であったと。精度が低かったと反省しているわけです。

 ではその「精度」の基準は何か。お知らせでは以下のように続きます。

追加納入蔵書について調査した結果、リニューアル開館から2015年9月9日までの約2年半で一度も借りられていない蔵書が1,630冊ある事が判明致しました。

http://www.ccc.co.jp/news/2015/20150910_004827.html

 誰も借りていない。だからダメであったと。よく借りられている本を揃えることが「精度の高い選書」であり、まったく借りられていない本を揃えてしまったから「より精度の高い選書を行うべき」状態になってしまったと。そういう論理になっています。

基準は貸出件数

 この論理は議論の余地はあるにしても、図書館管理上の基準を明確にしている分、スッキリしています。所蔵している本の価値を貸出件数で考えるという姿勢であり、図書館としては貸出件数の多い本が良い本で、貸出件数が少ない本が悪い本であると。そういうことになります。

 こういった姿勢は首尾一貫していれば、それなりに筋が通っており、例えば蔵書を入れ替える場合において、「その本を何故廃棄したのか」という問いに「誰も借りていないから」という回答が可能です。「貸出件数が少ない本が悪い本」という基準に照らして、それに該当したから廃棄して、より貸出が見込める本を購入しましたと。

 このあたりは図書館のあり方論に通じ、「図書館の蔵書の価値を、貸出件数で見ていいのか」というところに議論の余地があります。が、一方で「図書館に所蔵すべき本とはなんぞや」という問いには明確な答えはなく、明確な答えがない以上は、貸出件数という客観的な数字で管理するという考え方に合理性を見出す観点もアリと言えばアリでしょう。司書の選別という属人性が高い方法、そして属人性が高いが故に不透明になりやすく、客観性が低い方法よりは、属人性が低い方法をとったほうが良いのではないか。より客観的な数字によって所蔵すべき図書の選定をすべきではないか。こういう観点はありえます。

 一方で今後の運営的に「高いが、みんな借りそうな本」の購入は問題ないとしても、「誰も借りそうもないが、高い本」の購入に問題は出てきます。借りる・借りないが選書の基準であるのに、どうして借りられない本を買ったのか。しかも高い本をと。そういう話になり、場合によっては不正を疑われる要因になります。

 そうした反論に「司書の選定」「文化的側面から云々」というのが定番ですが、そういう司書の選定という属人的要素や、文化的側面などの判断を排除し、貸出件数で判断するという姿勢を明確にした以上、今後はこういう言い訳は禁物で、かえって立場が矛盾し、基本姿勢が問われることになります。貸出の有無によって選書の精度を考えるというのは、それなりに筋は通った考え方ではありますので、どんな場面でもこの筋を通してくれれば、図書館運営者としては問題なく、あとは、こういう考え方の図書館運営者を選ぶ自治体の考え方になろうかと思います。属人的要素や文化的側面を優先するならCCC以外にすればいいというだけのことで。

選書の合理性

 問題は選書の合理性で、「貸出件数の多い本が良い本」と考えているならば、何故、埼玉県のラーメン本とか、浦和レッズ本とか、古い年度の実用書を「貸出件数が多くなるであろう本」と考えたのか。基準そのものは良いとして、何故、その基準に適合すると判断したのか。そこに問題があります。

 例えば、佐賀県の旅行統計上、旅行先に多いのが埼玉県であると。そして旅行先で食べる人気フードがラーメンであると。こういったデータがあるなら、埼玉県のラーメン本が多くなっても仕方ありません。需要があると考えても仕方ない。同じく浦和レッズファンが多いとか、図書館の周辺で似たような実用書が売れているとか。そういう背景があっての結果であれば納得できます。 

 しかしながら、今回の件はそういった背景がまったく見えず、そういう背景がないことで合理的な根拠がつかめない。合理的な根拠がなさそうだから、押し付けられたんじゃないかと。そういう疑いになっている。ま、仕方ないですわな。誰が考えても合理的な根拠ないです。

 こういう状態を放置すると、今後の選書も疑われます。また合理性皆無の選書をするんじゃないか。選書の理由の開示がなければ、疑われたままになります。ま、仕方ありませんね。

謝罪

 ですので、基本的には謝罪があったほうがよろしいのではないかと思います。が、謝罪のやりかたには工夫が必要。何を謝るのかを明確にしたほうがいい。今回は「より精度の高い選書を行うべき点があった」わけですから、精度が低かった理由を明らかにして謝るべきではないかと。

 例えば、選書をデータベースから行う際に「佐賀県武雄市と埼玉県上尾市を間違えてしまった」と。「だから埼玉県のラーメン本や、浦和レッズ本が充実してしまった」と。「あくまで人的ミスなので、今後は武雄市周辺のグルメガイドや、サッカーで言えばサガン鳥栖関連の本が集まる予定です」というようにすれば、間違ってしまった点が明確になりますし、改善されることもわかる。

 より重要なのは、選書自体のミスではなく、選書を行う際の準備に落ち度があったというところに留めることで、「正しい情報であれば問題ない選書が行えた」という体にしておく必要があります。武雄市と上尾市を間違えなければ、きちんとした選書ができた。あくまでヒューマンエラーですと。

 逆に言えば、こういうヒューマンエラーもなく、佐賀県の図書館に埼玉県のラーメン本を大挙送り込むような業者は、図書館管理者としてはアレすぎるので、ここは譲れない部分かと思います。……大丈夫だよな。

首尾一貫

 今後の他自治体への展開を考えるならば、図書館運営上の基本姿勢であるとか、選書の基準、具体的な選書システムの問題に発展させないことが肝要で、一貫した基本姿勢や基準を示しつつ、あくまでシステムの運用の問題で、システム自体に問題はないこと。そして運用を間違えなければ選書に問題がないこと。これを今後示していく必要があるかと思います。

 このあたりの証明には時間がかかり、まして、これだけ大ごとになった以上は、負の記憶が薄れゆくまでに時間がかかります。が、図書館というのは長期的な運営を前提にするものなので、長期的に少しずつ信用を回復していくしかありません。

 また、長期的に信用を回復していくためにも、首尾一貫した姿勢で運営することが重要で、今回、貸出件数という基準を持ちだした以上は、その基準を堅持することが重要でしょう。このあたり図書館に対する価値観の対立があり、考え方が合わない人とは決定的に合いませんが、筋が通っていれば支持する人はいるものなので、譲らないことが大事。あっちこっち良いこと取りしようとするとかえってドツボです。

 私からは以上です。