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タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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傍観者の価値と当事者の不便

雑記

 こういう意見があることは理解する。が、あんまり賛成する気になれないのは、それぞれに立場があるから。

 実際に使う・住む・働く人間だったら?

 例に挙がっているのは「新宿ゴールデン街」「原宿駅」「築地魚市場」。こうした場所が外国人に人気があることは知っている。が、同時に老朽化が進み、不便になっていることも知っている。

 あとは程度とバランスの話で、どうにかなる範囲なら使い続けるだろうし、どうにもならなければ建て直しするしかない。

 歴史的文化財とかいっても、実際に住む人にとっては単なる家だし、働く人にとっては単なる職場だ。耐えられる不便なら受け入れるだろうし、その不便さと引き換えに何かを得られるのならば我慢もする。が、そういうのはあくまで当事者が決めることで、外部からやいのやいのと決められる話でもないような気がする。

 地方とかでも古い建物は重要文化財に指定されたりするが、指定されると改築関係が不便になるので、こういう指定が困る場合がある。現代に合わせた生活をしたいのに、昔のままの生活を一部強いられる。たまに見に来る観光客は、昔のままを見たいからそれでもいい。が、毎日を過ごす人にとってはたまったもんじゃない。

 外国人が好む日本像というのは、教科書に載っているような「ザ・日本」で、要するに古臭いものが好きだったりする。「古臭いものが観光的に価値があるんだから、古臭いままでおれ」という話で、私は「古臭いままだと不便なので嫌です」という話に肩入れしたくなる。

 それに今古いものは将来的にもっと古くなる。今のうちに建て直しておけば、五十年後に築五十年の建物として残る。ならば、今のうちに五十年後に価値のあるものを作っておくという発想もアリだと思う。つか、本質的にインフラってそういうものでしょ。資本なんだから。

 全然お店に来ないのに、お店を閉めるとなったら「閉店するのー、ざーんねん。閉めないでー、もったいない」って言う人みたいな。そんな印象も受けました。当事者にとって良い決定をすりゃいいんですよ。