タケルンバ卿ブログ

世界の片隅でだらだら生きる貴族の徒然帳

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譲らない老権力者の説得法

 新国立競技場の話を見ていると、森喜朗元首相だの、石原慎太郎元都知事だの、かつての権力者の名前をよく見ます。そして相変わらずの声の大きさ。むう。

 しかしながら、こういった存在は企業や地域にもいるもの。謎のOB、長老、顔役。面倒な老権力者はどこにでもいるものです。

 今回はそういった人の説得法を考えていきたいと思います。

論理で攻めない

 基本的に彼らの結論は出ています。そしてその結論を譲る気はありません。譲る気があれば相談します。

 そういった場合に、論理的に攻めるというのは悪手です。むしろ態度を硬化させます。彼らにとっては、自分の説を導く論理だけが正しく、それ以外は自分を非難するためのいわれなき材料です。

 そもそも論理的に結論を導いたわけではありませんし、論理的な交渉をしたいわけでもありません。自分の結論に対する対外的な説明のために論理が必要だというだけで、論理的な思考の存在を意味しません。

 なので、論理では攻めず、むしろ感情的に訴えかける方が良いです。

数字で攻めない

 論理的な反証は効果的ではありませんので、金額などのような客観的データを用いる主張もあまり効果がありません。

 新国立競技場であれば、その建設費が2,000億円を超えるとか、他の競技場の建設費と比べて高額であるという主張は一般的には成り立ちますが、彼らには通用しません。何故なら、彼らは「その金額で建てるべし」という結論に達しているからで、譲る気がないからです。言い方を変えると、安く建てようという気がありません。

 なので、数字を用いて、如何に高い建設費であるかを主張しても「だからどうした」で終わりです。「豪華すぎやしませんか?」には「豪華だからいいんだ」ですし、「他の競技場と比べて高くありませんか?」とくれば「世界一の競技場をつくるんだ」という答えが返ってきます。

 情緒的な話の方が、よっぽど効果的です。

少数意見の代表にしない

 こうした手合いは多数決に対しても無敵です。反対意見が多くなると、むしろ頑迷になります。

 なんというか、ヒーローになりたがるところがありまして、「反対が多い中、意見を押し切った俺、かっこいい」になるんですね。「多数意見に媚びなかった俺、流石!」でもあります。

 こういうひねくれた側面があるので、「国民はみんな建設費は高いと言ってます」という反論をしてはいけません。「国民はみんなわかってない」「わかってる俺、スゲー」「いいから言うことを聞け」となってしまいます。

名誉で攻める

 では具体的にどう感情的に、情緒的に、そして少数意見の代表にしないように攻めるか、という話がここから。基本的には名誉で攻めるべきでしょう。「名の残し方」という観点がよろしいかと。

 「晩節を汚す」という言葉がありますが、老権力者はこれを嫌います。むしろ「最後の一花」と思って、いろいろやっています。

 新国立競技場の場合ですと、森喜朗元首相はこんな発言をしています。

http://mainichi.jp/sports/news/20150707mog00m050014000c.html

これからの日本のスポーツの聖地として、さらに五輪が終わっても50年、60年、70年と、これを象徴的なものとして存在できる(施設を)ということが願いでもあった。

http://mainichi.jp/sports/news/20150707mog00m050014000c.html

 これを利用して「今の価格のまま作ると、70年後まで恥を晒すことになりますよ」「無駄遣いの象徴として、あなたの名前が70年間残りますよ」とか。

 逆手に取って「建設費を安く作ることができれば、安くて素晴らしい競技場を作ったと、70年後まで感謝されますよ」と畳み掛ける方法もありますし、多少ナショナリスト的な素養がある人には「日本ならできます、日本にしかできないことです」「それを先生の音頭でやったとあれば、先生の名前は後世に残りますよ」とか。

 さらには「少数意見の代表にしない」を逆用して、「さらなる少数意見の代表にしてしまい、ヒーローにする」という手もあります。

 「現行の計画案が大勢の中、これをひっくり返して、画期的な競技場建設に導けるのは先生だけです!」とか。これはさすがにヨイショしすぎですね、そうですね。

 ま、正攻法ばっかり見ますが、実際のところはこういう老獪な説得術が必要だと思うわけです。論理が通用しない人に論理で攻めても意味がないというだけなんですけどね。では、今回はこのへんで。