わたしゃ属性としてはグルメ側なんだろうけど、心根としては味オンチ側です。
なんかね。
いきなり結論から書くと、食は個人の勝手。何を食おうと自由。そしてその自由の楽しみ方が文化。
俺は俺の食べたいものを食べるし、食べたいように食べる。人にとやかく言われようが、俺が決める。すべて決める。その決定権は人に譲らない。人に決められたくない。
なので、俺の決定に関してああだこうだ言うまではいい。提案結構。良い店教わったり、おいしい食べ方教えてもらったりね。そういう新発見もあるので提案や助言、大いに歓迎。
が、俺の決定に関わってくるのは過干渉なので迷惑。よって即シャットダウン。知るか。
例えば「こっちにしろよ」とか。いやいや、そう思っていないからこそ、そうじゃないほうを選んだわけでね。
「こっちのほうがうまい」とか。いやいや、別の方がうまいと思っているから、その店を選ばなかったんですよ。
あとは「肉好きなのに、あそこ行ってないとかプゲラ」とか。いやいや、そう思っているのはあなただけで、俺はそう思わないから行ってないんですよ。
概してこういうのってマウンティングなんですよね。上になりたがる人発言集というか。……ブーメランが俺に突き刺さってないか?
衣食住で他のものに置き換えると話が通じやすい。例えば服。「高くて良い服着たほうがいいよ」みたいな。今回の記事で言えば、「おしゃれ VS ダサい」という感じ。こういうのもダサ側としては、おしゃれの言うことはいちいち余計なお世話でありまして。食で言えば「食えりゃいい」が、服で言うと「着れればいい」と。
こういうのは思い入れによって立ち位置が変わるわけですが、それぞれがどんな立ち位置であろうと個人の勝手なわけでね。食にも服にも興味がない人だっているだろうし。お金とか時間とかの兼ね合いで制限せざるを得ない場合だってあるだろうし。
食に興味がある人間としては、自分を人からの干渉から守るために、そして干渉を受けて余計に食に興味をなくす人が出ないように過干渉に気をつけていきたいところなのですけどね。何かを人にすすめる際には「○○も」という「and」の形にして、相手が大事にしている世界をクサさないようにしたいところ。「これがいい」という断定型ではなくて、「こういうのもあるよ」という提案型で行きたい。
食を大切にするならば、食の多様性を尊重したほうがいいし、その多様性には「食なんてどうでもいい」という立場も含まれるという考え方を大切にしたい。
また、それぞれの世界を大事にするためにも主語を狭めていきたい。「俺は」とか「我が家では」という言葉を使って、「あなた」の世界とは別で、あなたはあなたの道があるということを前提にしていきたい。主語を広げすぎるとろくなことにならんからな。「これが嫌いなヤツは人間じゃない」「仕事人として食に気を使わないのはどうか」とか。余計なお世話だ。
結論としてはみんな仲良く。うまいものをうまく食える仲間と楽しいお食事を。価値観の合う人間って宝だよね。では良い年末を。
※本文中には何故かうまいもの画像が散りばめられておりますが、文章の内容とは一切関係ありません。